ジャニー氏の性的暴行が13歳ジュニアにま及んでいた!実名告白した元ジュニアの橋田康氏

𠮷川晃司のコメント

ジャニー氏はたくさんのアイドルたちを育て上げた偉大なプロデューサーであると同時に、その裏で多くの被害者たちに傷を負わせたことも事実です。今回の橋田さんの告白をきっかけにして、もっと多くの声が上がって欲しいです。

「あの時抵抗できなかったから何をやってもダメなんだ」ジャニーズJr.被害少年が語る「自尊心を破壊された」ジャニー喜多川氏の性加害 から続く

過去8週にわたり小誌が報じてきた、ジャニーズ事務所創業者・ジャニー喜多川氏による性加害。被害を告白した元ジュニアは合計で11人にのぼる。

今回、新たに実名・顔出しで被害を告白してくれたのが、1998年からジャニーズJr.として活動をしていた橋田康氏(37)である。

「誰か分からない人間がイニシャルで話すより、顔を出して自分の言葉で話をした方が、強く世の中に発信できると思ったのです」

今も芸能活動を続ける橋田氏は、実名で取材に応じた理由をそう語る。今もジャニーズへの思いは強い。

オーディションの二次審査でジャニー氏に声をかけられた

「ジャニーさんが作り上げてきた世界は本当に凄い。性加害を単に否定するというより、ジャニーズがいい方向に変わっていくために、お話しすることにしました」

入所以来、後にKAT‐TUNやNEWSになるメンバーらと一緒に、ジュニアとして活動をしていた橋田氏。KinKi KidsやV6のバックダンサーを務めた。ジャニー氏との最初の接点は、オーディションの二次審査だったという。

「皆がまだ名前を覚えられていない時期に、『橋田』と呼んでくれました。覚えてくれていたことが、すごく嬉しかったです」

地方公演先のホテルで事件が起こる

ジャニー氏から「ご飯食べようか」と、誘われて家に行ったこともある。リハーサル後、他のジュニア4、5人と一緒に車で、六本木のアークヒルズの家に連れていかれたという。

「ホットプレートで焼肉を食べました。ジャニーさんは肉を焼いてくれたり、ご飯をよそってくれたりと、お世話をしてくれました。『泊まっていきなよ』と言われましたが、東京の郊外に住んでいたので、電車のある時間に帰りました」

事件が起こったのは1999年、地方の公演先でのこと。彼は中学1年生だった。仕事が終わると事務所が用意したホテルに、数十人のジュニアたちと泊まった。事務所スタッフから部屋が2人ずつ割り振られ、鍵を渡された。

13歳で初めての性体験 何が行われているのか理解できず

公演の疲れもあり、同部屋の友人ともども、電気を消して寝ていた橋田氏。深夜、突然「ガチャッ」っとドアが開き、人が入ってくる気配に気づいた。

「ジャニーさんのそういう(性的な)噂は少しだけ聞いていましたが、信じていませんでした。『こんなに優しくて良い人が』と。でも布団の中にゴソゴソと入ってきて……」

すぐにマッサージが始まった。身体がこわばる。ジャニー氏は無言のまま手を動かし続けた。

「『何だろう、これ』と、怖くて固まっちゃって。体感で1時間ほど続きました。だんだん疲れてきて、フッと力が抜けた瞬間、下着を下げられました」

13歳で、まだ性行為の経験も無い。暗くて見えず、一体、何が行われているのか、分からなかった。

「ウエットな感触だったので、きっとそう(口で)だったんでしょう。射精そのものが初めてだったので、何か出てしまったことが一番怖かった」

行為以来、待遇や仕事に変化が

するとジャニー氏は、別のジュニアの寝ている隣のベッドへと移動した。ゴソゴソと音がし続けたが、寝たふりを続けた。「何だったんだろう」と当惑する橋田氏。しばらくしてジャニー氏が部屋を出ていくと、ベッドから飛び起きて、風呂場へと駆け込んだ。

「本当に傷ついてしまって、シャワーで洗っていると、自然と涙が出てきました。されたことの怖さというより、噂は本当だったんだという思いや、性の知識もなく、自分の体の変化も含めて、頭がこんがらがってしまった。ベッドに戻って横になっても、涙は止まりませんでした」

翌朝、再びジャニー氏が部屋に入ってきた。風呂場の方に呼ばれて、「橋田、これ」と1万円札を手渡された。

「お金に関して、何の説明もありませんでした。自分の価値は1万円なんだ、と思いました」

以来、仕事は増えていった。例えば音楽番組では、それまでは夜9時頃までに帰らされていた。だが深夜まで収録をし、タクシーチケットを貰えるようになった。ドラマ『熱血恋愛道』(日本テレビ)への出演も決まった。

「何か影響したのかなって思いました。ドラマは今までなかったことなので」

ジャニーズを退所後、数々の舞台やミュージカルに出演

2002年秋、4人組のユニット『HisH』を結成した際は、ジャニー氏から電話があり、それを橋田氏から他のメンバーに伝えたという。デビューも狙えるポジションにいたが――。

「これからという時に、4人中2人のメンバーが退所してしまったのです。もううちわも作ってあって。事務所からは『残ってもバックダンサーに付けられないよ』と言われましたが、それでも残った。でも本当に1年ほど仕事が無かった」

年齢的にも高校を卒業する時期だった。そして橋田氏は退所を決意する。

いま彼は、ダンサーや俳優兼プロデューサーとして芸能活動を続けている。14年には舞台『タンブリング』にダンサーとして、21年には神田沙也加主演のミュージカル『王家の紋章』にも出演。この3月には事務所も立ち上げた。

これからは徹底して人を守っていくのが重要

「僕が初めて人前に立ったのも、全てジャニーさんがきっかけ。エンターテイメントを続けていく中で、やっぱり改めてジャニーさんの凄さを感じています。今後はもっとひしひしと感じるはず。今でも変わらずずっと尊敬しています」

それゆえ、ジャニーズや日本の芸能界に「変わって欲しい」という思いが強い。

「何もわからない子たちに、欲をぶつけてしまうこと。それは虐めと一緒です。見て見ぬふりをした人たちも、同じではないにせよ、それは違うと思う。声を上げて止められたかというと、そこは難しいけど、これからは徹底して人を守っていくのが重要です。エンターテイメントの世界だからこそ、一般企業よりも、シビアにモラルを守っていかないといけない。それに、その方が格好いいですよね」

ジャニーズ事務所に、事実関係を尋ねたが、締め切りまでに回答はなかった。

5月9日(火)12時配信の「週刊文春 電子版」および5月10日(水)発売の「週刊文春」では、橋田氏が受けた二度目の被害、ジュニアの先輩からかけられた言葉、ジャニー氏から退所を引き止められたこと、性被害を両親に告白した時の様子などについて詳報している。

追記:当初、橋田氏が初めて性加害を受けた時期について小学6年生、12歳と記述していましたが中学1年生、13歳でした。お詫びして訂正します。(5月10日14時)

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2023年5月18日号)

ジャニー喜多川氏の性被害者は想像以上に多い

(出典 news.nicovideo.jp)

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