学校での背の順番で並ぶのは差別⁉︎ それに猛反対する意見も!

小学校のとき前から2番目やったけど。差別なんて感じたことないけどなぁ。どうなんやろ?𠮷川晃司

背の順に並ばせるのは差別ではないか。そんな現役教員の松尾英明さんの意見がテレビ番組などで次々に紹介され大きな波紋を呼んでいる。賛成派がいる一方で反対意見も少なくないが、松尾さんは「反対する人々が見落としている重要なポイントがある」という――。

■「背の順」整列の何が悪いのか、と叫ぶ人の深層心理

「学校で背の順に並ばせるのは差別だ」

筆者が上梓した『不親切教師のススメ』(さくら社)から一部抜粋してプレジデントオンラインで紹介した記事(※)に関して、大きな反響があった。

※「なぜ誰もおかしいと気づかないのか…学校で『背の低い順に並ぶのは差別』と主張する現役教員の納得の理由」

SNSのコメント欄には、さまざまな声が寄せられた。

「日本の学校文化には意味不明な謎ルールや習慣がある」「確かに大人社会でも同じように背の順で並ぶことになれば変な感じに思うはず」といった賛同意見がある一方、「おかしいと思ったことはない」「背の順のほうが前は見やすいし、後ろの人も教師の指示を見やすい。背の順はむしろ合理的な配慮だ」といった反対意見もあった。

今回は、こうした反対意見に対して筆者の考えをより丁寧に説明していきたい。その前に「背の順は差別」と考える理由を改めて、整理しよう。

そもそも背丈というのは、本人にはどうにもしようがない固有の身体的特徴である。本来、そこに優劣はなく、比較するものではない。にもかかわらず、わざわざ誰の目に見てもわかるようにきっちり序列をつける。これは「差別」である。

「そういうことを気にしないように導くのが教育だ」という意見も聞くが、そもそもそういうことを教育の上でしなければいい話である。比較して並べる慣習が、競争意識をあおって強く意識するようになるのではないか。

ただ、筆者の意見に対する反論が出ることは想定内だった。多くの人は別に「背の順」に苦しんでもいないし、普通のことだと受け入れているからである。

だが、最初にどうしても述べなければならないことがある。それは「背の順で苦しんでいる人が存在する」というただ一点の紛れもない事実である。反対意見の人はそれを無視するか、ひどく軽視している。

■「平均から外れている人」マイノリティーを無視・軽視

彼らは全体から見ればマイノリティーである。学級の中で最も背丈の低い子どもは、1人しかいない。かつての男女別の2列であっても、学級で2人である。あとは、「2番目、3番目で、いつ自分が一番前になるか」と戦々恐々としている子供も加わるかもしれない。

逆に、背が高いがゆえに後ろで苦痛を感じている人もいる。「平均から外れている人」というのは、いつだってマイノリティーの側である。

実際、筆者が聞き取りした際、以下のような小学生の声があった。

「いつも一番前なのも嫌だし、時々、悪口を言われることがあるのもつらい」(男子)
「背が高いことを気にしているのに、並ばされて一番後ろだと余計に目立つから嫌」(女子)

こうしたマイノリティーの意見は気にしすぎであり、我慢すべきなのだろうか。「私は背が低い(高い)ことなんて気にしたことがない」「背の順でよかった」という無邪気な肯定派の人に、自らの気持ちを我慢して合わせるべきなのだろうか。

筆者はそんなはずはないと考える。すべての人の気持ちが、尊重されるべきである。それは、性的マイノリティーと言われてきた人々の人権が認められてきたことをみても明らかである。

少なくとも、日本の特殊な慣習であることを直視する必要がある。ダメな点がわかっていても無理に理屈をつけてなかなか変えようとしないのは、単なる無思考・怠慢である。

苦しんでいる人がいるとわかったから、変えよう。筆者の主張はただそれだけである。もちろん周囲には筆者と同じ意見を持つ教員や保護者も多い。彼らも日本における「背の順」意識の植え付けは人間形成上よくないと考えている

それでも、批判する人にも理屈はあるだろう。その典型が「そういうこと(背の順が差別)を言うから差別になるんだ」というお叱りの言葉である。つまり「寝た子を起こすな、現状のままでいいではないか」ということである。

この反論に対し、次のように考えることはできないだろうか。

■自分の行いは正しいと思い込むようにできている

人類には、奴隷制度という負の歴史がある。この制度下では、人が人として扱われなかった。最低限の人権すら無視された状態である。しかし、当時、虐げられていた人たちは自分が置かれた状況を当然のこと、普通のこととして受け入れていたケースも多いという。

虐げていた側はもちろん、虐げられていた側も受け入れる以外に生き延びる道がない以上、その考えを拒むとすると、精神的苦痛を伴う。そのため、矛盾が生じないよう「自分がやってきたことが正しい」と思い込もうとする。

これは、心理学でいう「認知的不協和」の解消である。「認知的不協和」はアメリカの心理学者のレオン・フェスティンガーの提唱した理論で、自己弁護のための無意識の心理である。

この理論を簡単に説明すると、人は自分の行動と心とのギャップや矛盾を解消するために、無理矢理にでも自分自身に納得のいく理由をつけるということである。

つまり、人間は基本的に、今までやってきたことが正しいと思い込むようにできている。あるいは、正しくないという指摘を受けると、それに対する反論をするようにできている。

こうした奴隷制度における差別は、人種差別とも関連する。

生まれながらの髪の色や肌の色は、本人が選んだものではない。それによって人権が制限されることなど、現代のわれわれの感覚では到底受け入れることはできない。しかし、当時はそれが当たり前のこととして、人々に受け入れられたのである。

当たり前になることで、差別されていること自体がわからなくなる。先にも挙げたが、善男善女も差別されている方も、それに気付かない状態になる。その当たり前の状態に対して「おかしい」と反対の声を上げる人たちがいたからこそ、変わってきたという歴史がある。

■教育機関で人の身体的特徴を「序列」していいのか

子供たちは、幼い頃から、学校で「常識」を身に付ける。学校の常識を身に付け、大人になり社会を形成し、子供を産み育てる。学校教育は、そのループの根本を握っている重要な存在である。

学校で、幼い頃から意味もわからず、やたらと背の順に並ばされるという「不合理」に慣らされる。

背の順はその一例に過ぎないが、子供たちは数々の「不合理」(厳しすぎる校則など)に慣らされていく。すると、次第に「なぜこれをするのか?」「これはおかしいのではないか?」と考えなくなる。これは、少なくとも人を育てる教育機関たる学校がしていいことではない。

学校が変だと感じている、あるいは嫌いだったという人は大人の中にも一定数いる。そうした感覚は、おそらく正しい。しかし、自身の過去への否定は無意識的に拒絶を生むため、受け入れがたい。だから、そこについては、考えないようにしたいのである。「寝た子を起こすな」とは、そういうことである。

しかし、筆者は起こす。雪山の遭難時ではないが「寝たら危ないぞ!」と揺り動かして頬を叩いてでも起こすつもりである。

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松尾 英明(まつお・ひであき)
公立小学校教員
「自治的学級づくり」を中心テーマに千葉大附属小等を経て研究し、現職。単行本や雑誌の執筆の他、全国で教員や保護者に向けたセミナーや研修会講師、講話等を行っている。学級づくり修養会「HOPE」主宰。『プレジデントオンライン』『みんなの教育技術』『こどもまなびラボ』等でも執筆。メルマガ「二十代で身に付けたい!教育観と仕事術」は「2014まぐまぐ大賞」教育部門大賞受賞。2021年まで部門連続受賞。ブログ「教師の寺子屋」主催。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Image Source

(出典 news.nicovideo.jp)

ASFASFASFA

ASFASFASFA

パヨオン〜

tom

tom

背の高さって、運動でも日々の生活でも影響してくるから、自分のくせとして認識し対応して生きていかなきゃならない。低い高いで苦しむ子供がいたらそれを打ち消す、活かす生き方を教えるのが教育者ではないのだろうか。整列やめれば単に自分の関わる範囲で目の前から差が目立たなくなるだろうけど、本当に子供のためになるのだろうか。

梅の字

梅の字

狂ってるなぁ。「マイノリティを無視」→ 前方の視界を確保してむしろ配慮してる。「序列していいのか!」 → 整列してるだけ。キレイは気持ちイイ。「自分の行いが正しいという思い込み」 → おまいう。こんなのが公立の教師とか、生徒が可哀想だぜ。

釣られすぎた熊

釣られすぎた熊

こいつの考え方の方が、個性や特性、自我の全否定に繋がってそうに思えるけどな。

通りすがり

通りすがり

「自分の行いは正しいと思い込むようにできている」おい自分でブーメラン後頭部にぶっ刺してんぞコイツ

風の谷のトトロ

風の谷のトトロ

この理論だと何を基準にして整列しても前になるのは差別ですってなるやん。

ゲスト

ゲスト

勉強できる子よりも、背の高さとか気にしない心にゆとりある子を学校では育ててほしいのです

ジャック

ジャック

小中高と背の低さで悩む奴は確かにいたけど、そんなことで整列が嫌とかいうアホはいなかったぞ。自分の都合のいいように「背が低い奴は背の順を廃止ししたい程苦しんでる」と思い込みたいだけでしょ

えもん

えもん

どうでもいいけどプレオンは「完全に見落としている事実」っていうフレーズお気に入りなの?

verlies

verlies

「整列順がなんらかの序列であり、優劣を示している」と意識することが問題。背の順整列を止めれば済むとか、整列が差別意識を作っていると考えるのは順序が逆。苦しんでる本人がいるというのが紛れも無い事実だ と主張したところで、それを解決するためのアプローチが間違っているという指摘への反論にはならない。

えもん

えもん

つまり性的マイノリティに苦しむ人がいればトイレの壁を取り払ってすべての浴場を混浴にすべきってこと?

ryon2_M

ryon2_M

順序を付けて並ぶ以上、なんらかの法則が必要であり、最も合理的な法則が背の順であるということ。どんな順序であれ、その順序がイヤな人は必ずいる。それに全て配慮しろと?バカじゃないの?

もっぷ

もっぷ

え、これまだ引っ張んの?天丼?

もっぷ

もっぷ

本人見たことないけど、身長に相当コンプレックスもってない?

zan

zan

今でこそ我慢しない子供による学級崩壊が起こっている学校が存在するのに、これ以上我慢しなくていいとか社会に出た瞬間即死するから辞めた方がいい

だいちゃん

だいちゃん

優しさは行き過ぎると我儘になる。

MONO

MONO

背の順は理にかなっていると思う。校長先生の無駄に長い話で気持ち悪くった生徒がいた場合、背の高い人の後だったら朝礼台からでも発見できないじゃない? ちなみに高校では授業の時に50音順で指名されることが多くて、あ行の人は心の準備ができなくて大変だなと思いました。何順にしても不公平は存在するよね

9-128

9-128

優劣、苦しむねえ……アメリカの女優マリリン・モンローは「視線依存症」というさびしんぼ最上級系の心の病気だったそうだが、だからこそ「どうしたら人の注目を集められるか」を必死に考えて実行し続けて『アメリカのセックスシンボル』という自ら望んだステータスを手に入れたけどな。何でもまっ平らに並べようとするなよ心の成長がなくなるぞ。あと骨延長手術ってしらんのかねこの人。

ガラハゲ

ガラハゲ

自分の行いは正しいと思い込むようにできている。お前らの記事がまさにこれじゃないのか?w正しいと思い込んでるからこんなクソ記事書けるんだろw

ネコ型ロケットホラれもん

ネコ型ロケットホラれもん

なんで当事者でもないのにお気持ち表明する必要あるんですか?

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