なぜ被災地に千羽鶴を送ってしまうのか…日本人が情緒に流されてしまう日本教育への不満
「被災地への千羽鶴」は日本では美談として扱われることが多い。脳科学者の茂木健一郎さんは「生活必需品が求められているタイミングに千羽鶴が届いても迷惑なだけ。日本人は情緒に流されてしまう傾向があるが、これは日本の学校教育に問題があるからだろう」という――。

※本稿は、茂木健一郎『「本当の頭のよさ」を磨く脳の使い方』(日本実業出版社)の一部を再編集したものです。

■ここ数十年の日本の教育に対する不満

日本は教育大国だと、長年言われてきました。

資源のない小さな島国が国際社会で存在感を発揮するには、僕たち1人1人が知性を磨かなければならない。日本では、人間こそがすなわち資源なのだ──。そんなことを学校の先生から教えられた人もいるのではないでしょうか?

そう、本来、教育とは知性、本当の頭のよさを磨くもののはずです。しかし、僕には、ここ数十年の日本の教育が日本人の本当の頭のよさを磨いてきたとは、到底思えないのです。

■千利休、幕末の志士に感じる「頭の良さ」

たとえば僕は、千利休(1522〜1591)はとてもクレバーだと思います。利休が発見した「わび」「さび」の概念は、世界中で尊ばれ、好まれる美意識、コンセプトです。

ちなみに「わび」とは足りないものに美を見出すこと、「さび」とは時間の流れとともに変質していったものに美を見出すことです。大事なのは、千利休が発見したといっても、彼が「これがわび・さびです」と確立したわけではないということ。

たとえば水墨画の大家、長谷川等伯や雪村などもわび・さびの極地と言っていいと思いますが、かつて日本に通底していた、そういった美意識を見出し、論理立て、わび・さびと名づけたのが千利休だったのです。

また、明治維新という出来事も、全体を通じて非常な知性を感じさせます。外国から開国を求められている、しかし国内も一枚岩ではない、国内をまとめ外国の勢力に対抗しなければならない。

「ペリーを怒らせるのは嫌だしなあ」「将軍の顔を潰しちゃいけないしなあ」「薩摩は長州より格が上だぞ」なんて、重要な登場人物の誰か1人でも情緒に任せて動いていたら絶対に成功しませんでした。

明治維新を成し遂げた薩摩や長州の人たちは、いや、はからずも対抗勢力となってしまった江戸幕府の人たちも、我が藩の利益だけでなく、立場は異なっていても日本という国について考え、選択をしたはずです。

■本当の頭のよさとは「情緒に流されない力」

千利休にしても、時は乱世なわけです。

秩序が乱れ、戦乱や騒動が絶えない時代にあって人々の心はすさみ、厭世的な気分が国中を覆っていたはずです。そうした情緒に流される方向に添えば、生きるのは悲しい、苦しいみたいな方向に行ったって決して間違いではないわけです。もしくは人はすぐ死ぬ、祇園精舎の鐘の声だみたいな価値観だって当時すでにあったでしょう。

しかし千利休はそこに「もののあはれ」的な美を見出すことはしませんでした。そうではなく、人は滅びる、しかしモノは滅びない、そして古びたモノ=時を経てなおそこにあり続けるモノは美しい、という非常に骨太な、情緒ではなくロジックに裏打ちされたセンスを示してみせるのです。

そんな中世の千利休、近代の維新の志士たちが持っていた本当の頭のよさとは「情緒に流されない力」だったと僕は考えています。

つまり、かつての日本人は「言語化されていない」けれど「情緒的ではなくてロジックに基づいた」感覚を正しくとらえる力を持っていました。

この情緒に流されずに正しく判断する力こそがいまの時代も必要なのであり、本来、教育とはそういった部分を伸ばしていくべきだと僕は考えています。

■テストで判定できる知識は役に立たない

そのためには、たとえば外国の学校現場で取り入れられているようなディベートを重視し、プロジェクトの企画から完成までを行うプロジェクト型の教育が必要でしょうし、アートや一般教養についての深い学びも必要でしょう。

それらは本来、テストで判定できるようなものではないはずです。

しかし、日本の教育はいまだに暗記型、詰め込み型で、テストで成績を判定します。テストで判定できる知識で、社会に出てから役立つものがどれほどあるでしょうか。

たとえば、いかに創意工夫してプロジェクトを立ち上げやり遂げるかは、趣味の世界でも、ビジネスの世界でも求められる普遍的な能力ですが、テストのしようがありません。英語における「用語のセンス」もテストできないでしょうね。

もちろん、単純に英文を訳せるかどうかはテストできます。しかし、「これはペンです」を英語にできるかどうかはテストできても、そんなものは実際に外国人と話すときには役立たないでしょう。

「あ、それはペンですよ」と、相手に教えるシチュエーションより、「心がざわっとして、ちょっと悲しくなって、でもそう言ってもらったことが嬉しかった」という複雑で曖昧な心の機微を伝えるシチュエーションのほうが、人生では絶対に多い。こうした用語のセンスを日本の英語教育で身につけられるとは、到底思えません。

いまの日本の教育を受けた人の多くは暗記型、詰め込み型の勉強は得意でも、ディベートや質問は苦手です。しかし、世界の多くの国では暗記や詰め込みではなく、発想、交渉といった教育に力を入れている。これは実は由々しき事態です。

■日本と他国で全く違ったゼレンスキー大統領の演説

ここまでの話を象徴しているな、と感じたのがウクライナのゼレンスキー大統領の演説です。

2022年3月23日、ロシアのウクライナ侵攻についてゼレンスキー大統領が日本の国会で演説をしました。ゼレンスキー大統領はほかの国の国会や国連でも演説をしていて、多くの国は「あなたの国で演説したい」というゼレンスキー大統領の意志を無条件に受け入れ、対応しました。

ところが日本だけ、「前例がないので可能かどうか」という議論がまず出てきました。結局、演説は実現したわけですが、その内容は、他国でのものとは違っていました。

ドイツには政治姿勢を明確にするよう求め、欧州の各国には具体的な支援やケアを要求したゼレンスキー大統領ですが、日本に対しては、「日本はすぐに援助の手を差し伸べてくれました。心から感謝しています」と、まず誉めたたえた上で、夫人がオーディオブックをつくるプロジェクトに参加した際、選んだ題材が日本のおとぎ話だったことを述べました。

そして、「同じように温かい心を持っているので、実際には両国間の距離は感じません。両国の協力、そしてロシアに対するさらなる圧力によって、平和がもたらされるでしょう」と、共感を求めたのです。

もちろん、「ロシアとの輸出入を禁止し、軍に資金が流れないよう、ロシア市場から企業を引き揚げる必要がある」などの現実的な方策について言及もしています。

しかし全体には情緒にあふれ、ロシアのチェルノブイリ原発の占領と広島・長崎を暗に重ね合わせるなどした、日本人の共感を求める内容の演説だったことは、皆さんの記憶にも新しいことと思います。

■「日本人にロジックは刺さらない」

ゼレンスキー大統領が日本でだけこのような演説をした理由について、日本はウクライナと距離が離れていて物的援助は現実的ではないからとか、同じロシアの隣国としてロシアの脅威を日本が感じることが今後の国際社会に対して効果を持つからとか、日本の知識人はそれらしく解説していました。

それらの側面もあると思いますが、僕は正直に言ってしまうと、「日本人にロジックは刺さらない」という、諸外国の認識もあるような気がしてなりません。

つまり、情緒的なこと、感情に訴えるようなことは効果があるけれど、ロジカルに必要な支援を要求しても日本人は理解しないし、感動しない、むしろ反発するかもしれない。

国際社会でそう認識されているからこその、あの演説だったような気もするのです。

■被災地へ千羽鶴を送る人が見えてないもの

ゼレンスキー大統領の演説は1つの例にすぎませんが、これからも日本が国際社会できちんと存在感を発揮するためには、ロジカルに物事を判断できる力を身につけるべきでしょう。

そうでなければ、日本人はただ単なる善意や正義心などといった感情だけで動く人たちになってしまいます。無垢の善意は、時に迷惑であるだけでなく害をもたらします。

たとえば、よく言われるのが「被災地への千羽鶴」です。必要なのは生活必需品やお金というタイミングで千羽鶴が届いても、被災した側は、ある意味でその善意を持て余してしまうのは論理的に考えればわかりそうなものです。

千羽鶴を送るのが悪いわけではなく、タイミングが悪いのですが、情緒に流されるとそういったことは見えなくなってしまうのですね。

そんな現象が、このところ目立ちます。「情緒に流されない力」を鍛えることは、正解のない社会で生きていく強い力になるのです。情緒に流されない力、つまりロジックの力、論理的思考力です。

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茂木 健一郎(もぎ・けんいちろう)
脳科学者
1962年生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学院理学系研究科修了。クオリア(感覚の持つ質感)を研究テーマとする。『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞を受賞。近著に『脳のコンディションの整え方』(ぱる出版)など。

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千利休像(長谷川等伯画、春屋宗園賛)(写真=PD-Japan/Wikimedia Commons)

(出典 news.nicovideo.jp)

千羽鶴送られても迷惑とも言えないし処分にも困る。
多少、気持ちがほっこりするのかな?
まあ役にはたたんね。
𠮷川晃司

<このニュースへのネットの反応>

教育のダメさとマスゴミの不安煽りの合わせ技だな。とりあえず放射脳とコロナ脳をどうにかしよう。

長文を読みたくないあなたに。「昨今の日本人は情緒に流されて理論が通じん」「学校教育も実践的じゃない」「他所の国を見習え」「そんなんだから千羽鶴を感情的に送るんやぞ」

長々と書いてあるが、要約すると今まで腐るほど見た考察と憂国の長文だな。それに「何か災害や非常事態が起きた!よしゃ千羽鶴作るぞ!」は旧時代の人間だろう。応援の気持ちと実際の支援を都合よく手配する手段は、クラウドファンディングもSNSもいくらでもあるんだから。千円で千羽鶴作って送ってくれるなら別かもしれんが……

なんかいいことした気分になりたいけど金は出したくない人間の屑みたいな連中が千羽鶴に逃げてるだけだろ

被災地に千羽鶴を送る行為を、大半の日本人が美談として持て囃しているのなら茂木センセイの言う通りですが、実際にはそんな事は無いですよね。現実から乖離している、自身の思い込みを主張の根拠にする事の何処にロジックがあるのでしょうか?

情緒で扇動されるのは日本人じゃ無い人達ですw

阪神大震災から既に言われてたことなのに絶えないよね、迷惑なだけなのに。千羽鶴を折る折り紙代を現金で寄付したほうがよっぽど為になる。

確かにロジカルに考えれば無用の長物かもな、それでも千羽鶴には作った人達の思いが込められているだろう、見て勇気付けられもするだろうし人として一概に否定はしたくないな、これは日本国内にのみ適用されるロジックだろうが。

まああれだよね、困ってる人を助けるにはどうするのがいいのか。それを全く考えないから善意の押し付けみたいなことができる。

日本人以外は情緒に流されない論理的な人達…ギャグかな?

主語がデカイ上、根拠もふわふわ、呑み屋で言いたい放題言ってるジジイと大差ない。

被災地に千羽鶴を送るのは反対。しかし日本にも「同情するなら金をくれ」という名言?もある。

「なぜ*はcoraboとコラボして特亜に無駄な資金を送金するのか?」これで記事書いてみろ反日プレオン

日本人じゃなくても千羽鶴を送ろうとか言った奴居ますよ。義捐金ビジネスして豪邸に住んでるアグネスっていうんですけどね。

茂木健一郎が「情緒に流されない」とかいうのはギャグのつもりなのかな?

っていうか千羽鶴なんか作るのって小学校とかで、送りましょうってやるのって教師、あっ(察し

千羽鶴を燃やしたら願いが叶うって謂れを作って流布すればいいんじゃないの?そういう機転も利かないよね。

被災地に千羽鶴?まじでそんなことしてるやついるん?わざわざ言い出すならふつうに寄付でよくね?

と、現実を見ない、真実を隠したがるマスゴミの皆さんが言っていましたとさ

最初に著者書いてくれるの助かるw

福祉法人の障害者や学生騙して千羽鶴折る、これで活動点数はいるから完全にビジネス、社会福祉法人でいくらでも出てくるわ

苦しい時に人の想いに元気付けられる情緒だけでなく、クソ忙しい時に邪魔なモン送りつけられてイラッとする情緒も解すれば済む話。ロジックだろうが情緒だろうがトライアンドエラーだろうが、材料足らんと現状把握すらままならないのよ。知識を得る前に考える事を強いられると、自説ありきの偏った知識集めに走っちゃうよね。多様性原理主義者の茂木さんにはその方が望ましいのかな。

未だに千羽鶴を作らせているのって、祝福や幸福祈願・災害などへの慰安・病気平癒祈願などを願う、所謂『神頼み』に縋っているだけで現実を直視していない気がする。被災地に千羽鶴を贈るぐらいなら、現地の人達が本当に必要なもの(日用品や薬品、寒い地方ならカイロや毛布など)を送った方がいいだろう。

平和ボケで未だに学習しない民族だから仕方ないね

千羽鶴やめようってなったら今度は四つ葉のクローバーとかが大量に被災地に届くだけ

被災地に何が必要なのか理解出来ない人。所謂、想像力の欠如、無能な働き者、自己肯定力の高い人等々。国内で広範囲の災害時にこんな人達が活躍するんだろうなと思うと暗澹たる気持ちになりましたよ。

茂木の時点で内容察した通りだったと…… なんというかゼレンスキー大統領の話もロクに聞かずに妄想だけで文面仕上げるのはウクライナにも失礼だからやめたほうが良いと思う。

まあ募金とかも、被災地の住人には届かずに、「共産党事務所の立て直し」や「半日活動団体への活動資金」やらそういう使い道される可能性があることは考えもしないもんな 本来はマスコミのしごとだろうにサボった結果やで

震災あたりからこの辺りの価値観は変わってきているけど、思い込みが先行してる脳みそアレな脳学者さんには見えてないのだろうね。

普段から情緒に訴えまくる記事を書くプレオンがなんだって?

可燃ごみのような塊

どういった団体や個人が送っているか統計を取ってみるのも良いかもな。

昔からマスゴミが美談として扱ってきたからだろ

千羽鶴を焼くと厄を持って行ってくれるって噂流せば解決よ

素直に日本はロシアを支持すべきだと言いたいのは良く分かったので黙っとけ

茂木健一郎が言うのか、ロジック無視して友好平和、綺麗事を脳死で並べるだけの左翼系だと思ってたが

日本では「鶴は千年亀は万年」と長寿の縁起物扱いだが、スラヴ文化圏では「*だ人の魂は鶴になって故郷高天国だかに飛んでいく」ものだそうな。他国の文化に詳しいわけではないが、どう受け止められるんだかちょい不安「必需品ではなく*だ人間の象徴がめっちゃいっぱい送られてくる行動」は。亡くなられた方への安息を祈るならともかく「北斗の拳のキメ台詞」的に取られたりしない?

そら鶴だけ来たら、それは違うってなるよ。でも別に援助物資と一緒に、千羽鶴そえればええだけの話やんけ。場所とるから千羽鶴燃やしましたでも笑い話になるだけやん??変な難癖をロジカルとは言わんよ。

千羽鶴についてはお前らマスコミが美談みたいに語ることもあるからだろ

必要な物資じゃないし邪魔になるっていうのもわかるんだけど、古い慣習みたいなもんだし気持ちだけでも受け取っておこうとはならんのかね?クズだのなんだの罵声が出てくるのが一番嫌だなぁ

受け取っちゃうとその扱いに困るんだよ。破棄するにも儀式めいた事をやって見せないと文句言われるし。被害者への感情ではなく本人が何かをやった証が欲しくてやってるだけのエゴだよ。

事故現場や殺人現場とかの献花も一緒だよ。注意喚起につながるかもしれないが、周りの店舗なんかにしてみれば暗い雰囲気を出されて大迷惑なんだよ。

情緒に流されて日本を乗っ取ろうとして成功するマスゴミと中国より情緒に流されて自分たちの文化で気持ちを伝えようとして失敗した人たちの方がマシ

あんまり例に出したくないがデジタル献花ようなデジタルなものでもいいと思うんだよな。支援物資にはタグベースでメッセージつけて、お礼メッセージ返信用にQRコードつけると*ればいいよ。もうあったりするかな?

物が増えれば増えるほど選別作業も処分費もかかる。この程度のこともわからないから支援物資に沿えればいいとかバカみたいな理屈で千羽鶴を送り続ける。情緒がどうこう以前に頭が足りない

ロジカルに考えたらウにもロにも肩入れしたくない(関わりたくない)になるからなあ どっちもろくなことしてきてないんだし

言われたそばからバカの感情論と大量のいいねかよ。こんな記事に説得力を持たせないでくれ

千羽鶴問題の本質は情緒ではなく無知。折ってる人は善意でやってるんだから被災地に迷惑がかかることを知ればやめる

どうしても送りたいなら一羽折って本体に×1000て書いとけばいいと思う心底に困ってる人に鶴が必要なことはないんだし…リクエストされた物資と一緒に送れば喜ぶ人は多いんじゃない

千羽鶴は祈りを込めて折るものだから、それ自体に意味がある。似たようなものだとお百度参りみたいなものだ。わざわざ祈り先に送る必要はなく、どうしてもどこかに送り付けたいなら神社とかに奉納する方がご利益あるんじゃないかな。迷惑だろうけど。

擬似科学者はくだらないこと言ってないで職探せ

日本が災害に見舞われると祝うような志那チョンよりは遥かにマシ

被災地へ千羽鶴を送ることに対して折った人もそれを企画した人も被災地のことなど二の次に考えているので、そのプロジェクトがうまくいってしまうのです。というよりそのうまくいったという事実が日本人にとって重要度が高いのです。皆さんが真面目に考えたら並大抵のプロジェクトは暗礁に乗り上げますね?日本人はそれが嫌なんです。本来はそれが正しい形なんですが。

千羽鶴を知ったのは道徳の授業でやった「広島原爆被害者の女の子が健康になるよう神頼みで折ってたけど、その子が亡くなるまでに折りきれなかった鶴をみんなで折りました」って話で、それ以外は部活動とかの必勝祈願くらいだなぁ…被災地へのお見舞いってどこから来たん?

千羽鶴や応援()のお手紙がなんで嫌がられて恨まれるのかって、元被災者の立場から言わせて貰うと緊急で必要な水や食料、生理用品に医薬品を運ぶ為のスペースを奪って何の役にも立たない上に邪魔な物が送られてくるって点。何せ無駄にデカいダンボールに入れて送ってくるからね、トラックの限られたスペースを奪って。気持ちがどうの感謝がどうのの問題じゃない、緊急物資の邪魔してるの

茂木先生とプレオンと似たような脳構造の人多いな・・問題はそこじゃないと思うけど。

「情緒に流されない力」それって人治国家である半島の悪口ですよねw

模擬大センセイの美麗才筆でしたら記事の最初にそう書いておいてくださいよお。書き手によっては一秒でも致命的な無駄になるんだから

私は送ったこともないし支援必要な被災は経験ないけど要はこれも物理的な実害がある承認欲求の塊なわけね。個人目線でも闘病時に貰っても扱いに困るわな。

戦後の『昭和情弱教育』の賜物(死 『ヒロシマに千羽鶴を贈ろう!!』という活動が切っ掛けだったかな、後の日教組の?

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