パリ五輪への感謝:東京五輪を成功に導いた日本の誇り

パリ五輪への感謝:東京五輪を成功に導いた日本の誇り

パリオリンピックが8月11日(現地時間)に閉幕した。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「今回のパリ五輪は、『誤審』疑惑や選手村での盗難の多発といった大会運営の不備が目立った。3年前の東京五輪と比較すると、対照的なポイントが多い」という――。

■パリ五輪で相次いだ「疑惑の判定」

現地時間の11日に閉幕したパリ五輪は、日本勢の「メダルラッシュ」に沸いた。金メダル・メダル総数ともに海外で開かれたオリンピックとして過去最多となった。一方、柔道や男子バスケットボールをはじめ、「疑惑の判定」が続出し、日本中に、フラストレーションがたまったのではないか。

男子バスケットボールの日本対フランス(現地時間7月30日)が、「疑い」を象徴している。

この試合では、残り16.4秒の段階で、84対80で日本がフランスをリードしていた。そこからフランスのマシュー・ストラゼルに二度、トラベリングを疑われるシーンがあった。一方、3ポイントシュートの際、日本の河村勇輝がストラゼルに体を寄せたことで「ファール」と判定される。その結果、1ポイント分のフリースローが与えられたフランスは、同点に追いつく。

トラベリングは、せめて一度は取られるべきだし、河村のジャンプは、ストラゼルの体のどこにも触っていないように見えた。敗色濃厚な状況からの劇的な展開に、会場の盛り上がりは最高潮に達する。反対に、テレビ画面のこちら側には、判定への疑い、そして怒りが募った。

この「疑惑の判定」について、スポーツ専門サイト「Number Web」でスポーツライターのミムラユウスケ氏は、「紙一重のジャッジではあったし、違う会場の試合だったら、あるいはもう一度あの状況になったら、審判が異なる判定をする可能性も十分にあるだろう」と書いている。

■試合中に「市民よ、武器を取れ!」の大合唱

なるほど今回の判定が偶然なら、ミムラ氏の言う「可能性」を想像して納得してもいい。けれども、パリ五輪での「疑惑」はバスケットボールにとどまらない。

筆者の印象に残っているのが柔道の混合団体の決勝(現地時間8月3日)。この試合で物議を醸したのが、3勝3敗で迎えた代表戦の出場者を決める「デジタルルーレット」の結果だ。

その前に、まず驚いたのは、試合中に行われたフランス国歌の大合唱だ。

柔道には、ゴルフやテニスほどの静けさを求められないとはいえ、試合中に大声で、フランス国歌を歌い上げるのは、観戦マナーの度を越している。3年前の東京五輪は無観客だったので、あくまで「たられば」にとどまるが、仮に、柔道の会場で、日本人の観客が「君が代」を大合唱していたら、どうとらえられたか。

もとより、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」は、フランス革命の歌で、歌詞には血生ぐささしかない。「市民よ、武器を取れ!」と呼びかけ、敵を殺そうと煽り立てる歌は、「平和の祭典」であるはずの五輪、それも、「礼に始まり、礼に終わる」柔道とは、正反対である。

■ホスト国としての「礼」をあまりに失している

このような圧倒的にアウェーな状況で行われたのが、前述の「デジタルルーレット」だ。そこで選ばれたのは「フランスの英雄」とされるテディ・リネールだった。あまりにできすぎている展開に日本のネットユーザーからは、「ズルーレット」などと批判する声が相次いだ。

このルーレットについては、東京五輪の柔道男子60キロ級金メダリストの高藤直寿氏がテレビ朝日系「サンデーLIVE‼」で指摘した通り、「不正は絶対ない」のだろうし、全日本柔道連盟の関係者は「透明性は確保されているという認識でいる」と述べている。それが公式見解である。

一方、試合中の国歌の大合唱に象徴されるような、ホスト国には、あまりに「礼」を失した姿勢が、これまで述べてきたような「疑惑」を際立たせているのではないだろうか。

「衣食足りて礼節を知る」ということわざを、いまさらフランスに説いても詮(せん)ないが、裏を返せば、今の同国は、衣食が足りていないのかもしれない。先に行われた同国の総選挙は、「極右」や「極左」をはじめ四分五裂し、国のまとまりを欠き、パリでは野宿者が次々に立ち退かされている。開会式当日(7月26日)に起きた高速鉄道TGVを狙ったテロ事件は、発生から2週間以上が過ぎた本稿執筆時点(8月13日)でもなお、犯人逮捕に至っていない。

■3年前の東京五輪ではどうだったか

オリンピックを開催する国にふさわしい礼節どころか、治安を守り、人々や選手を安心させる役割すら、まともに果たせていないのではないか。そんなフランスに対して、日本への礼節を期待するほうが間違いなのかもしれない。

こうした思いは、3年前の東京大会と比べてみると、よりクリアになる。

2021年、新型コロナウイルス感染症の蔓延により、同大会は、五輪史上はじめて、無観客で開催された。当時は、オリンピックの開催そのものに日本中が反対しているかのような空気であり、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長(当時)が「パンデミックの所でやるのは普通ではない」と発言するなど、多くの「専門家」が、反対の大合唱だった。加えて、新聞やテレビ、ネット上でも、この流れに同調して、五輪自体を敵視しているかのような世論がつくられていた。

■お粗末な大会運営と現地マスコミの翼賛

東京大会では、選手村や競技施設の出入りに、感染症対策のため、厳格な管理がなされた。前例のない中で、大会組織委員会をはじめとする運営側には、大会そのものの進行だけではなく、感染対策を両立させる、という、きわめて困難なミッションが課された。

にもかかわらず、競技では、今回のような「誤審」騒ぎは起こらなかったし、運営の面でも、きわめて順調に遂行された。少なくとも、メディアから、そうした批判が目立ったとは言えない。

ひるがえって、今回のパリ大会は、どうか。

夏季大会では8年ぶりとなる有観客というだけではなく、100年ぶりにパリで開かれたこともあってか、地元フランスのメディアは、翼賛、賛美一色に染め上げられていた。ふだんは政府に批判的な新聞であっても、日本では賛否の分かれた開会式を絶賛している。

パリ大会は、東京のときとは逆に、マスコミの力強い後押しのなかで開催されている。もちろん、新型コロナウイルス対策など、どこ吹く風である。

だが、大会の運営は、順調とは言いがたい。「誤審」の疑いにとどまらない。選手村については、「食事の乏しさ」「競技場への移動時間の長さ」さらには「空調設備の不整備といった」批判が相次いだ。これだけなら、まだ稚拙というか認識不足だと甘受できたかもしれない。選手村で盗難が頻発したことからは、もはや、パリにもフランスにも、運営する資格に疑問符がつく。

■日本人がパリ五輪から学ぶべきこと

メディアから袋叩きにされ、難しい運営を強いられながら、無事に大会を終えた東京と、マスコミから応援され、コロナ対策も不要でありながら、これほどまでに不満が相次ぐパリとは、対照的だと言えよう。それでも今回のパリ大会は、日本人にとって、とても貴重な機会だった。「日本人が大切にすべきもの」を、3年越しであらためて教えてくれたからである。

それは、日本のオリンピック参加を進めた柔道の父・嘉納治五郎が説いた「礼」の精神だ。当時ヨーロッパで流行した「ジャポニズム(日本趣味)」の的だった柔道は、そのジャポニズムの本場たるフランスで「JUDO」になり広まった。その一方で、嘉納の大切にした礼節は、今回のパリ大会には見出しがたい。

観客の大合唱だけでなく、試合後に、畳を降りる前どころか、決まり技の直後に派手なガッツポーズを決め、会場に向けて雄叫びを上げるフランスの選手には、「礼」のかけらも見られなかった。

だからこそ、柔道の母国・日本に求められるのは、冷静になってフランスを許し、認め、自分たちの「道」を究めていく、愚直な姿勢を世界に示していくことにほかならない。それこそが嘉納治五郎が目指した「柔道の国際化」であり、「見るスポーツ」としての発展である(※1)。いくら柔道が「JUDO」という別のものに変えられようと、嘉納治五郎の精神は消えないし、日本人の礼節もまた、変化しても失ってはいけないものが、そこにあるからである(※2)

参考文献
※1:井上俊『武道の誕生』(吉川弘文館)
※2:広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』(講談社現代新書)

■なぜパリ五輪に対する批判が盛り上がったのか

すると、日本のSNSでパリ五輪に対する批判が盛り上がったのは、礼を失していた、そうみられるのかもしれない。

決してそうではない。そこには2つの理由がある。ひとつは、3年前の東京大会において強いられたフラストレーションであり、もうひとつは、日本勢の活躍である。

上述のように、3年前は無観客を強いられ、さらに、素直に盛り上がってはいけないかのような呪縛があった。今回は、そうした足かせがないどころか、開催都市のパリだけではなく、世界中がバックアップした。にもかかわらず、あまりにも運営が拙い。せっかくの機会を活かしきれていない。であれば、3年前に日本が余儀なくされた我慢は、いったい何だったのか。そんなイライラが募っているから、パリ大会に向ける視線が厳しかったのではないか。

それだけではない。そうしたお粗末な運営をものともせず、日本チームは、海外開催では過去最高数の金メダルを獲得したからである。それも、柔道や体操、レスリングといった「お家芸」にとどまらない。スケートボードやブレイキンといった、新しい競技どころか、フェンシングや馬術、近代五種といった、欧州を本場とするスポーツでも、次々とメダルを得た。

開催都市の「礼」を見せられないパリを舞台に、そこを本場とする種目で、日本代表が次々に勇姿を見せる。その姿は、日本が欧州に劣っている、といった思い込みを拭い去って余りある。だからこそ、大会をきちんと遂行してほしい。そんな願いが、日本のSNSでのパリ大会への批判につながったのではないか。

■東京大会の意義を、あらためて見直す

きわめつけは、東京とパリ、両大会のメダルをめぐる騒動だろう。

バドミントン男子シングルスで東京とパリの連覇を達成したデンマークのビクトル・アクセルセンが、両大会の金メダルを比べる動画を公開するなど、終盤になって、あらためて、大会運営の粗雑さに注目が集まった。

本当にメダル作りに優劣があったかどうか、よりも重要なことがある。大会のイメージとして、最後になって、こんな、みっともない動画が広く共有されたところであり、その残念な感じが、今大会には最初から最後までつきまとったところが、大切なのである。

3年が過ぎて、あらためて、あの東京大会が乗り越えた壁の高さを、日本だけではなく、世界が痛感したからである。そして、日本選手の躍進が、地元開催というアドバンテージによるものだけではないと証明したからである。

日本スゴイ、と煽り立てたいわけではない。そうではなく、ここまでみてきたように、パリ大会の不評ぶりと、日本勢の存在感の大きさは、あの東京大会があったからなのだ、と世界中に示したところにこそ、今大会の意味があったと言えよう。

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。

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エッフェル塔に掲げられた五輪マーク(写真=Ibex73/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

(出典 news.nicovideo.jp)

この記事は、パリオリンピックの運営に対する批判的な視点を中心に展開されています。筆者は、特に「誤審」疑惑や選手村でのトラブル、さらにはホスト国としてのフランスの礼儀に欠ける姿勢を問題視しています。

まず、「疑惑の判定」については、柔道や男子バスケットボールの試合を例に挙げて、パリ大会では公平性に疑問を抱かせる場面が多かったとしています。このような状況が、競技そのものの公正さを揺るがし、観客や選手の不満を引き起こしたと述べられています。

また、フランス国歌の大合唱やデジタルルーレットによる試合出場者の決定など、フランスの観客や運営側の態度が「礼」を欠いているという指摘も重要なポイントです。特に柔道の精神に反する行為が見られたことが、筆者にとっては大きな問題であり、これが「礼」に重きを置く日本人にとって非常に違和感を感じさせるものであったとされています。

さらに、筆者は東京オリンピックとパリオリンピックを比較し、東京大会の方が運営面や礼儀の面で優れていたと結論づけています。東京大会では、新型コロナウイルス感染症対策の厳しい条件下で運営が行われたにもかかわらず、運営が順調であり、誤審などの問題も少なかったと評価しています。

総じて、この記事はパリオリンピックの運営の不備を厳しく批判し、その結果として、日本人が大切にしている「礼」の精神が改めて見直されるべきであると結論づけています。フランスと日本の文化的価値観の違いが強調されており、この違いが両国に対する見方を大きく左右していることが示されています。

<このニュースへのネットの反応>

こう言っては何だけどさ、パリ五輪は論外だと思うんだよ、比較対象として。開会式のパフォーマンスからして悪い意味で型破りだったからなぁ。パリ五輪を持ち出したらどの五輪大会も成功の範疇になるでしょうよ。個人的な感想としては五輪はもう要らんよ、IOC含めて潰した方が良い。やるんなら別の世界大会を作って行うべきだと思うわ、ルールを守れて公正にやれる人間だけでさ

いやいやパリ五輪ほどじゃないにしても東京五輪も失敗だろうに。まぁ成功した五輪ってのも解んないんだけどさ、五輪そのものが欠陥抱えてるようにしか見えない中でマシだったと言われてもね。

フランスの品性が想像以上に低かったのは若干ショックだったな。とはいえ大赤字垂れ流した東京五輪も褒められたものじゃないが

ポリコレ要素をふんだんに盛り込んだポリンピックだから失敗は確定していたようなものだからな。東京は上手く避けられたが。

この前は審判のミスを許せって言ってたけどあれはプレオンじゃなかった?? まあそれは置いておき、パリは殊更酷い印象があった。誤審は疑惑でしか無いが、食事、冷房、盗難、水質…いくらなんでも問題が目立ち過ぎでは?リオよりも騒動が多い印象。東京とは逆でチケットは売れても、その後の都市の力のアピールと観光客誘致はこれできないのでは…?

・イギリスですら飯に文句を言うレベル・インドですら川の汚さに文句を言うレベル・中韓ですら日本に同情するレベル・プレオンですら2020東京オリンピックを擁護するレベル←New

日本を褒めるとはプレオンとは思えない記事だな。それはそれとして「東京大会が乗り越えた壁の高さを、日本だけではなく、世界が痛感したからである。」は言い過ぎだろ。世の中の人間はそれほど昔のことは覚えてないもんだ

パリ五輪への批判はそれなりに同意もするが、今大会の熱も冷めてない中、あっち下がったから日本上げようって堂々宣うのもまた礼を失する話だな。

フランスが本当に嫌いになれる約1か月だったな。まあこの後フランス政界は地獄だなと思うとあの悪魔的な演出はフランス国民に向けてだなと溜飲も下がるのだが。

フランスもそうだがIOCへのヘイトがガン上がりした五輪だったね。 ところで次回五輪からは先天性遺伝子障害者はパラリンピックじゃなくオリンピックに参加できるんだよね? ボクシングで国際連盟がアウト出した判定ガン無視して出場させて金メダルまで認めたんだから。

体操や飛び込みとかの、審査異議申し立ての制限時間に関わる裁定もぐっちゃぐちゃで笑っちゃうんだよね。パリもだけどIOCの腐りっぷりもよく出た大会だった

遺伝子で男性でも女性競技出られるっていうのはもうもなあ。

下見てパリ五輪とは比較するまでもなく成功とは言えるが、五輪自体はもう日本でやらんでいいよ。あんなもん五輪の為にとかいって予算莫大にして超えても簡単に注ぎ込んで、どこかしらの人間のポケットにスルスル入ってるだけなんだから。五輪委員のやつらの接待だけで何億吹っ飛んでるんだよ。相変わらず審判が信用ならんからVARなり入れてるのに審判判断で使わず誤審もうんざりよ。

西洋人の*っぷりがよく分かった五輪だったな。「カイガイデハー!」って言う連中の話がいかに信用できないか分かった。もう日本は欧米に遠慮する必要は無い。

パリ五輪が終わっての感想は、主催側にフェアな精神が感じられなかった。開会式の催し、競技の判定や大会の環境等、様々な面で特定の思想・価値観が鼻を突いた。各所のやらかしが負の相乗効果を生み、多少の不備があってもゴリ押しする雰囲気が出来ていたと思う。これが許容されたら五輪の存在意義が無くなるレベル。

一番良かったオリンピックっていつのなんだろう。

3年前の東京五輪は色々とアレだったし(開催後に発覚した汚職事件とIOCの腐敗が明確になった件)、今回のパリ五輪も誤審だらけで酷かったことから世界各国で批判されているんだよなぁ。

パリ五輪を残念に感じることはいい。他を貶して得るものを「誇り」と呼ぶような教授から学べることがあるとは思えない

おもてなし(2013年)からだけど、武漢肺炎(2019年)が無けりゃあな

もう二度と日本では開催しないで欲しい。欠片も興味無いしただの税金の無駄。こっちには何の恩恵も無くマイナスでしか無い

東京五輪は税金の無駄遣いで国民が不利益被ったけど、パリ五輪は選手にしわ寄せがいった感じに見える。それはそれとして、あれだけ税金無駄遣いした挙句、『あの五輪よりはマシだった』という程度の評価なんだから、もう日本は五輪を開催せんでいい

どんだけ中抜きしたんだってゴミみたいな東京大会なんて思い出したくもない。それを遥かに下回ってくるパリには驚かされた。フランスへのなんとなくあった好印象なんて全て嫌悪に変わった低俗な差別国家。アサクリ騒動もあれがフランスの平常運転だったんだとわかる。五輪なんてもう不要と本当に思えた

東京のマラソンは北海道に強制的に移しといて、なんでセーヌ川でのトライアスロンは認められたのか。

そもそも五輪って「開催期間中くらいは平和にスポーツやりましょう」って理念だよな?ウクライナでも中東でもゴリゴリ戦争してる上に、開会式はポリコレアピール会場と化し、競技では恣意的とも思える誤審続出。この状況でオリンピック続ける意味ある?

東京オリンピックは、現場が上の尻ぬぐいをしてた感がある 褒められるべきは現場の人達だけよ

まぁ東京の時はチャイナウイルスばら撒いた中国が一番悪いよ

多くの人のフランスのイメージを現実に近いものに寄せられたのが数少ない良い点だったかな

東京五輪は俺が知ってるだけでも施工管理と聖火ランナー予定のとんかつ屋店主の二人の自殺者出してるんだけどな

今回のパリ五輪が論外なだけだと思うけどな。昔からフランス人の意地の悪さはよく言われてきたことであるが、それが悪化の一途をたどっているっていうことがよく分かる大会だった。

今年は西洋連中の印象がグッと悪くなったわ 前まで特亜よりマシだと思っていたが今では特亜と変わらないんじゃないかこいつらと思っている

東京五輪はまだオリンピックだったけどパリ五輪は「オリンピック風のイベント」でしかないんよ

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